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歴史は繰り返す?!今のBEVと同じように否定されていたHEVが受け入れられるまで(序章)

バッテリー式の電気自動車「BEV」は、従来とは異質ゆえに嫌う人も多いのですが、かつてはHEV(ハイブリッドカー)も似たような扱いだったのを知っていますか?この記事ではBEV普及のヒントとして、何回かに分けて「HEVが受け入れられるまで」を紹介します。まずは1997年、世界初の量販HEV発売の頃から。

目次

  1. 「21世紀に間に合いました」とは言うものの
  2. サクラより全然売れなかった、初代プリウス
  3. 特殊な「燃費スペシャルスポーツ」、初代インサイト
  4. 「そこまでして燃費を稼がなくともよい」と冷淡だった市場
  5. 「タクシーに採用!」とニュースになるほどだったHEV

「21世紀に間に合いました」とは言うものの

「21世紀に間に合いました」とは言うものの

「電気自動車なんて不便なだけで高い乗り物なんか、誰が乗りたいものか!」…インターネットに限らず、酒場でも職場でも学校でも、さらには家庭で身内との会話ですら、忌み言葉のように嫌われることが少なくないバッテリー式の電気自動車、「BEV(Battery Electric Vehicle)」。


しかし1974年生まれ、1993年に運転免許を取得した筆者(CARSMORAライター・兵藤 忠彦)は知っています…電気自動車の一種であるHEV(ハイブリッドカー)が四半世紀以上前から販売されており、登場してからしばらくは、BEVと似たような扱いだったことを。


世界初の量販ハイブリッドカー、トヨタの初代「プリウス」は、「21世紀に間に合いました」というキャッチコピー、鉄腕アトムやお茶の水博士など、手塚治虫キャラを起用したCMによって、確実に未来を予感させたものです。


しかしそれは「ああ、すごいねえ、21世紀の車はこうなるんだろうねえ。」という他人事じみた想いで、決して自分で乗りたい、所有したいと思う類の話ではありませんでした。


むしろ世間一般的には「そりゃスゴイけど、なんで高い金払って便利でもないハイブリッドカーへ乗る必要があるの?」、「魅力的な車もないし、今まで通りでいいじゃない?」というのが本音だったと言えるでしょう。


それはどこかで聞いた話、それもつい最近…そうです、BEVが今言われていることと、ほとんど同じ!


初代プリウスの発売から2024年で27年経ちますが、ハイブリッドカーも当初どころか10年以上は「こんなもの」扱いだったのが、今や「ハイブリッドがあるんだから、BEVなんていらないじゃない?」と言われているのだから、人間なんて勝手なものです。

サクラより全然売れなかった、初代プリウス

初代プリウスは、エンジンと発電用モーター&駆動用モーターを協調制御する高度なフルハイブリッドシステムであり、現在も改良を続けながらトヨタ式ハイブリッドの根幹を占める、「THS」の初採用車でした。


当初から低速時のEV走行が可能で、発表会では無音(当初は現在のように車両接近警報装置が義務付けられていなかった)でステージに現れたプリウスへ、どよめきの声が上がったものです。


トヨタが2000年12月のプレスリリース「プリウス、世界で累計5万台を販売」で発表した、初代(10系)プリウス初期の販売台数を以下に紹介しましょう。




1997/12

1998

1999

2000/1~11

1997/12~2000/11

国内

323

17,653

15,243

11,848

45,067

北米

-

-

-

4,631

4,631

欧州

-

-

-

549

549

合計

323

17,653

15,243

17,028

50,247




1997年12月発売なので、1ヶ月も売っていない323台はともかく、初めて丸一年売った1998年は17,653台、月販1,500台にも達せずに翌1999年には勢いを増すどころか減り始めています。


2000年には5月にマイナーチェンジ、北米や欧州での販売を始めていますが、ヒットにほど遠いどころか新車が昔ほど売れない2024年現在の基準でも不人気車と言ってよいでしょう。


2022年5月に発売されるや同年12月までに2万1,887台、翌2023年には年間通して3万7,140台も販売した日産のBEV「サクラ」には全く及びません。


もちろんBEVの場合、サクラに至るまでは三菱 i-MiEVや日産の初代リーフ、テスラのモデルSなどの先輩たちが築いた足がかりを元に、国からのCEV補助金も増額されたタイミングで大ヒット、という背景はあります。


しかし環境対策や省エネは1960年代から盛り上がった長いテーマで、1980年代半ばにはリーンバーン(希薄燃焼)エンジン、1990年代半ばには三菱の「GDI」など直噴エンジンも登場しており、超低燃費のハイブリッドは時代に対してミスマッチとは言えません。


複雑な制御を要する新世代パワーユニットは当然高価で、「21世紀へGO(5)」と引っ掛けた、215万円からという価格も、カローラが100万円台だった当時の小型セダンとしては高価でしたが、売るほど赤字の戦略価格で抑えていました。


2代目以降と異なり独立トランク式の4ドアセダンというスタイルは、既に人気ジャンルの座を滑り落ちていて微妙でしたが、それを割り引いても売れなかった初代プリウスは、「今のBEVよりよほど異質な存在だった」ということです。


しかも発売当初に自慢だった驚異の低燃費(10・15モード28.0km/L)は、ホンダから発売された初代インサイトに大きく抜き去られ、燃費世界一でもなくなっていました。



特殊な「燃費スペシャルスポーツ」、初代インサイト

特殊な「燃費スペシャルスポーツ」、初代インサイト

ホンダといえば今も昔も、特に環境対策エンジン「CVCC」で世界を驚かせた1970年代以降は「燃費と性能を両立するメーカー」として、最先端の技術を誇っています。


そんなホンダがトヨタだけに「21世紀に間に合いました」をやらせるわけもなく、初代プリウスが発売される1997年の東京モーターショーには「J-VX」という名で、3ドアファストバッククーペのハイブリッドカーコンセプトを出展していました。


それが1999年11月に発売された時、バッテリーより先進的に見えた蓄電装置「ウルトラキャパシタ」は、平凡なニッケル水素に代わり、それが後席を潰すどころか、荷室床面もかさ上げしてようやく収まるという「荷物もロクに積めない2シーター車」になりました。


ホンダ初のハイブリッドシステム、「ホンダIMA(Integrated Motor Assist)システム」も、当時はEV走行すらできない(後に気筒休止システム採用とトルクアップで可能になった)、今ならマイルドハイブリッド程度のモーターアシストしかできない代物です。


それでも初代NSXに続くホンダでは2台目のオールアルミボディや高効率VTECエンジンとの組み合わせで、5速MT車(10・15モード燃費35km/L)もCVT車(同32km/L)も初代プリウス以上の低燃費を発揮しました。


そのスタイルは、もともと北米向けの超低燃費パーソナルカーとしてスタートしたコンパクトスポーツ「CR-X」と似ており、エンジンと駆動系の間にモーターを挟む設計のため5速MTが選択可能なことや、軽量アルミボディと相まって、スポーツ性を高く評価されます。


実際、当時の自動車メディアでも、モーターアシストと吹け上がりのいい1リッター3気筒VTECエンジンのパワフルな組み合わせで軽くヒラヒラと走り、MTで操るのも楽しい「ホンダらしいスポーツカー」と、燃費そっちのけでベタ褒めされたものです。


実は筆者もジムカーナ(舗装路の超短距離タイムアタック競技)で使おうかと考えましたが、ホンダは公認競技で使用するための「JAF登録車両」へ初代インサイトを登録しなかったので、実現しませんでした。

「そこまでして燃費を稼がなくともよい」と冷淡だった市場

「そこまでして燃費を稼がなくともよい」と冷淡だった市場

トヨタ プリウスとホンダ インサイトの2台が揃い、ライバル同士が競い合っていよいよHEVの時代が来るか…となれば、全くそんな事はありませんでした。


プリウスは頭上スペースを大きく取って車内空間に余裕をもたせたパッケージングが高い評価を受け、トヨタが(当時提唱していた)「セダンイノベーション」の一貫である新世代セダンの先行コンセプトなのでは、とまで言われます。


さらに初期型(型式NHW10)のTHSは信頼性が絶望的に低く、青信号になった瞬間にぶっ飛ばし、地域によっては赤信号になっても2~3秒なら全開で突っ切り、高速道路は軽からトラックまで飛ばしに飛ばすような時代のユーザーに耐えられませんでした。


調子に乗って飛ばしているとカメさんマーク(出力制限警告灯)が点灯してパワーダウン、そのうち走行用バッテリーがオシャカになって走行不能になるため、バッテリーに無償交換保証がついていたほどです(NHW10型のみ…2024年3月で無償交換は終了)。


2000年5月のマイナーチェンジ後(型式NHW11)はバッテリーを無償交換しなくていい程度に改善されますが、「やっぱり電気なんかで走る車はロクなもんじゃない!」「やっぱりまだ早すぎたんだよ…」というイメージを定着させるには十分でした。


一方のインサイトも、2名しか乗れない座席の後ろへ、荷物もほとんど積めないほど底が浅いラゲッジスペース下に「巨大なバッテリーを背負って走っている」ようなものでしたし、さりとてレースや競技で活躍するでもありません。


トヨタに対抗するために発売した「空演説後のスーパー燃費スペシャル」でしかなく、国内販売台数は1,600台程度でしかなかったと言われており、4輪参入初期のDOHC軽トラT360や小型オープンスポーツのS500と同じく、実績づくり以上の意味はなかったのでしょう。

「タクシーに採用!」とニュースになるほどだったHEV

「タクシーに採用!」とニュースになるほどだったHEV

プリウスやインサイトの初代モデルが発売された1990年代後半のHEVを象徴する出来事としては、「公用車やタクシーに採用されるとニュースになった」ことです。


昔から環境対策アピールとして、排ガス規制や低燃費といった面で優秀な車や、CNG車(天然ガス車)など、限られたインフラでしか使えない特殊な車が、公用車やタクシーで採用されるとニュースになるのは、今も昔も変わりません。


インサイトはともかく4ドアセダンとしてはマトモなパッケージだった初代プリウスはタクシーにも使えたので、地元タクシー会社が1台でも入れれば地域版のニュースや新聞で紹介されたものです。


つまり当時のHEVとは「タクシーに使えばニュースになるほど特殊な車」でしたし、北米への輸出が始まると、ハリウッドスターが軍用車両ベースの巨大SUV「ハマーH1」と並べて、クリーンイメージをアピールするにもちょうどいい車と有名になりました。


今の日本ではBEVやFCEV(燃料電池車)がまだその「特殊な」ポジションにありますが、いくら信頼性に難があると言ってもソコソコの実用性と低燃費を両立した車が、事業者やセレブの環境対策アピールや、新しいモノ好きのオモチャでしかなかったのはなぜか?


一言で言えば「ガソリン代が安かったので、得体のしれない(信頼性や価格の面で)不便な車に乗る必要がなかった」という…現在のBEVと似たような理由がしばらく続くからですが、そんな「2024年現在では想像もつかない時代背景」を次回は紹介します。

このブランドについて

  • TOYOTA

    トヨタ

    常に世界の最多生産台数を争い、日本のみならず世界を代表する自動車メーカー、トヨタ。多くの日本車メーカーと深い関わりを持ち、グループ全体で超小型車からバス・トラック、産業車両まで網羅したフルラインナップ・メーカーであり、近年は実用性やコストパフォーマンスのみならず、スポーツ性など走る楽しみにも力を入れています。世界初の量販ハイブリッドカー「プリウス」から電動化技術では最高の蓄積を持ち、自動運転技術の実用化、新世代モビリティと都市生活の在り方を模索する「ウーブン・シティ」へ多大な投資を行う一方、電動化だけがエコカー唯一の選択肢ではないというスタンスも崩さず、死角のない全方位戦略が現在の特徴です。

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このブランドについて

  • HONDA

    ホンダ

    現存する日本の主要自動車メーカーでは1960年代に最後発で四輪へ進出、大手の傘下に入ることもなく独立独歩で成長したホンダ。初期のスポーツカー「S」シリーズやF1参戦でスポーツイメージが強い一方、初代シビックの成功や、可変バルブ機構を採用した高性能なVTECエンジンで実用的かつスポーティな大衆車メーカーとして発展、1990年代にはミニバンのオデッセイやステップワゴン、SUVのCR-Vをヒットさせ、2010年代には軽スーパーハイトワゴン「N-BOX」の大成功で軽自動車ブームの中心になっています。先進技術の開発にも熱心で、ハイブリッドカーやBEVなど電動化、運転支援システムの実用化にも積極的。

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著者プロフィール

【兵藤 忠彦】 宮城県仙台市在住のフリーランスライター。モータースポーツに参戦していた経歴は全てダイハツ車という、自動車ファンには珍しいダイハツ派で、現在もダイハツ ソニカを愛車として次の愛車を模索中。もう50代なので青春時代を過ごした1980〜1990年代のクルマに関する記事依頼が多いものの、自動運転やEVといった次世代モビリティでも楽しめるはず!と勉強中です。

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