NEW

神奈川大学工学部が開発した第1号機電気自動車

神奈川大学 名誉教授、新中新二と学生らが挑んだ次世代EV開発。注目度・期待値ゼロからスタートした「センサー・トランスミッション」レスの電気自動車開発秘話に迫る

2001年3月、神奈川大学工学部は、大手自動車メーカーや他の大学研究室に先駆けて「センサレス・トランスミッションレス」の電気自動車を完成させた。この日本初となる試みは、テレビ・新聞・雑誌など各マスコミから注目を浴びた。「周囲からは全く注目されていませんでした。もちろん期待も一切ナシです」。今回は、開発に携わった神奈川大学工学部名誉教授の新中新二氏に、当時の開発背景や困難、エピソードをうかがった。

TEXT:石原健児(画像は神奈川大学工学部 新中名誉教授資料、神奈川大学公式サイトより)

電気自動車の先駆的モデルの開発に着手

「21世紀の自動車の主役は、電気をエネルギー源としたモータ駆動による電気自動車になるだろう」。この未来予想図のもと、1998年に神奈川大学工学部はそれまでの常識を覆す電気自動車の制作に着手した。


陣頭指揮を執るのは、工学部名誉教授の新中新二氏。彼の試みは、トランスミッションを搭載せず、駆動モータを位置速度センサではなくコンピュータープログラムで制御しようというものだ。


「ST-EV(Sensor-Iess & Transmissionless ElectricVehicle)が完成すれば、モータの能力を十二分に引き出せるだけでなく、コストダウンや省スペースも実現できると考えました」と新中氏はプロジェクト開始時の想いを語った。具体的な目標は「世界初のST-EVの開発」「公道走行の実現」。大企業には負けられない、という想いを胸に新中氏と学生たちは走り出した。



神奈川大学工学部名誉教授の新中新二氏

開発の主力武器、独自の「センサレスベクトル制御技術」

電気自動車「ST-EV新1号」

開発名は「ST-EV新1号」に決定した。しかし、意気込んでスタートしたものの、予算も開発場所も限られており車両製作のノウハウもなかった。周囲からは期待する声も聞こえてこない。唯一の強みは、新中氏のモータ制御独自技術「センサレスベクトル制御技術」だった。


新中氏は制御工学、電力系統連系、信号処理などを専門とし、自衛隊や民間企業での経験を経て1996年から神奈川大学 工学部・工学研究科 教授に就任した。特に力を入れ切り拓いてきたのが「モータドライブ工学」という分野だ。センサレスベクトル制御技術は新中氏の経験を結集した技術である。


「車両の準備、電源機構の開発など課題は山積みでしたが、まずは自分達の強みであるモータ技術の開発に注力しようと考えました。核となる駆動制御アルゴリズムのプログラミングは、全て私が組み上げました」と新中氏は語る。



外部の協力も得ながら、開発はステップ・バイ・ステップで

ST-EV新1号のベース車両はダイハツミゼット

車両は軽トラックのガソリン車「ダイハツミゼット」を中古で購入。バッテリーはフォークリフト用の鉛電池を流用した。モータや電力変換器のハードは市販品を改造し搭載。外部の専門家の協力も得ながら開発を進めた。


ST-EV新1号に搭載したモータは「誘導モータ」で、EV開発で用いられていた2種類のうちの一つ。躯体は大きいものの扱いやすいのが特徴だ。


開発はソフト(プログラミング・基本設計)、ハード(電子回路のワンボード化、駆動制御システムの開発、電源開発、車体の改造)と順を追って進めた。「EVの要となるモータ駆動制御技術は、まず学内で小型のモータと電力変換器で開発を開始しました。徐々に出力を上げていき、搭載用の大型モータと電力変換器は外部企業の協力のもと完成へとこぎつけました」と新中氏。


ベース車体の荷台にはバッテリーはインバータ類、エンジンスペースにはモータ、車内席の横には駆動制御のDSP(頭脳部)システムを搭載し、ST-EV新1号は2000年初夏に形となった。



朝駆け夜討ちのテスト走行

ST-EV新1号、テスト走行の様子

ST-EV新1号完成後、走行テストを開始。新中氏は車両開発を通じて、センサレス・トランスミッションレス技術の実証と、回生・油圧2つのブレーキの特性や連携の確認を行おうと考えていた。


試験走行は学内の坂やグランドで実施。既存のセンサ技術とセンサ無し技術の比較検討により、車両性能や特性の評価を行った。走行後すぐにノートパソコンでアルゴリズムの数字を微調整、その場でアップデートし車体制御精度を高めていった。


車検に向けたフィールドテストは順調に進み、平坦地走行・登坂走行いずれにおいても既存技術を上回る数字をたたき出した。「試験走行は、学生の登下校や部活動の時間帯を避け、主に朝方や夕方に行いました」と新中氏。時間が限られるなか、開発中の休日は月に1日しかなかったという。



一度はまさかの「不合格」、リベンジして納得の車検合格

公道走行可能な性能を達成したST-EV新1号は、入念な準備のもと2001年1月にナンバー取得のための車検に挑んだ。しかし、結果はまさかの不合格。理由は荷台のスペースが不足しているというもの。ベースとなったミゼットは軽トラック、荷台を利用しバッテリーやインバータを搭載したが、それが裏目に出た。



車検合格前、荷台にびっしり積まれたバッテリーや機器類

「ただ、車検担当者に聞くと必要なスペースは車体幅×50cmほど。ただちに再改造に着手し翌2月に再挑戦しました。ベース車体に軽トラックを選んだのは偶然とはいえ、良い選択だったと思います。乗用車だとベース車体の後部座席は乗用で認証を受けているはずですから機器類の据え付けはできません。おそらく車検の認証はもっと苦戦したでしょう」。


2001年2月16日、ST-EV新1号は無事車検に合格しナンバーを取得した。番号は「納得いくEV」の「ナットク」の語呂合わせで「7919」。新中氏もメンバーも安堵のため息をついた。



天も味方した初の公道走行

天も味方した新1号、初の公道走行

ST-EV新1号初の公道走行は2001年3月25日。神奈川大学の卒業式に合わせて行った。開始時間は午前9時、各メディアにも連絡し、準備万端のはずだった。しかし当日の天候は雨、しかも想定外の土砂降りだった。新中氏は「最悪中止もやむなし」と思いながら準備を進めたという。


と、ここで天が味方する。開始時刻の30分前、降りしきる雨が止み、晴天が現れた。「思わず『行け!』と大声で叫んでいました」と新中氏は当時の思いを語った。


公道走行は無事成功。NHKニュースでも取り上げられ、卒業式会場のみなとみらい大ホールの画面にはその様子が流れた。学生や教員にもその取り組みが理解され、学内でも高く評価された。


試験走行成功直後から、メディアの出演依頼が殺到。独自技術のEV開発に対する反応は大きく、大手新聞社、地域新聞、専門誌などいくつもの媒体に「神奈川大学 電気自動車」の文字が躍った。「当時、EV開発車両で車検に合格したのは私達だけでした。ST-EV新1号完成後、いくつかの展示会に参加しましたが、ほかのブースは車両が車検をパスしていないため搬出に時間がかかります。それに対しST-EV新1号はナンバープレートを交付されていますので、会場から自走で搬出できます。展示車両に展示ブースで使用したのぼりやパネル類を積んで素早く撤収する様子は、周囲から驚きの目で見られたものです」

2001年11月「Intermac 2001」に出展

2002年4月、モータ技術展に出展

「ST-EV新2号の開発」をスタート

環境省主催「エコカーワールド」が次の開発のきっかけに

ほどなくして、環境省から一本の電話が入る。同省が主催する「エコカーワールド」への出展依頼だった。会場ではトヨタ、日産、ホンダなど大手メーカーのEVも展示されていたが、他社が駆動用モータとして使用していたものはST-EV新1号とは異なる「永久磁石同期モータ」だった。これを見た新中氏は、自身の挑戦心に火が付いたのを感じたという。2001年ST-EV新1号の完成から間もなく、永久磁石同期モータを駆動モータとする「ST-EV新2号」プロジェクトがスタートしたのである。目標は新たなモータを搭載した車体の完成と公道走行だ。



学内に設置されたEVモータ試験装置

外部メーカー協力のもと、ダイナモシャーシ試験も

ST-EV新1号の開発時とはうって代わりST-EV新2号の開発環境は大幅に改善した。予算は数百万から数千万へと大幅にアップ。学内にはモータ試験を行う設備も設置され、多量の電気も使用可能となった。今回は周囲からの期待も大きく、シャーシダイナモ(燃費試験装置)を提供するメーカーも現れ、ST-EV新2号の走行データはより正確に計測することができた。


開発までに要した期間は約3年。カーペットを敷き体裁を整えたST-EV新2号は、2004年無事車検に合格。公道走行は前回同様、神奈川大学の卒業式に合わせて実施され、新中氏は学生たちと完成を祝った。



2004年、ST-EV新2号も公道を走った

EV開発の経験は次世代へと受け継がれる

ST-EV新2号の完成後、新中氏と神奈川大学は新聞や雑誌など公の場への出演が増えた。2006年には世界最大の電気自動車のモーターショー・国際会議である「第22回国際電気自動車シンポジウム(EVS22)」にも参加。展示会では数百万の予算をかけブースを作成し、世界に誇る研究成果を披露した。



「第22回国際電気自動車シンポジウム(EVS22)」にも参加

「苦楽を共にした学生たちの半数は自動車関連のメーカーやサプライヤーに進みました。今でも集まりがあると当時の思い出に花が咲きますね」と、新中氏は語る。


新中氏には神奈川大学教授就任以来、続けてきたことがある。自ら実践・完成したモータドライブ工学を形に残すことだ。学生とともに作り上げた電気自動車たちは、教授職退任を機に解体し眠りについたが、新中氏はこれまでの経験を文字という形で後世に残そうとしている。


これまでの執筆総量は4000頁。2024年秋には新たな書籍を上梓する予定だ。650頁に及ぶ大作であるという。若い世代の経験として、書物として、新中氏が開発した電気自動車たちは形を変え次世代へと受け継がれていく。



新着記事