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太平洋をひとっとび? 突拍子もない電池に懸賞金がかけられたワケ トヨタバッテリー出発式 豊田会長スピーチ

3月にトヨタの完全子会社となったプライムアースEVエナジーがトヨタバッテリーとして再出発。新たなスタートにあたり、豊田章男会長が語ったこととは?

新生トヨタバッテリー:未来の電池開発への夢

3月にトヨタの完全子会社となったプライムアースEVエナジー(PEVE)が10月1日、トヨタバッテリーへと社名変更し、出発式が行われた。


式典には静岡県湖西市の影山剛士市長をはじめとする地元の関係者や従業員ら約100人が参加し、同社の門出を祝った。


会場となったのは、JR浜松駅からクルマで30分ちょっとの距離にある湖西バッテリーパーク(新居工場)。市街地と国道1号(浜名バイパス)大倉戸ICを結ぶ都市計画道路、通称「バッテリーロード」(大倉戸茶屋松線)沿いにある。

太平洋をひとっとび? 突拍子もない電池に懸賞金がかけられたワケ トヨタバッテリー出発式 豊田会長スピーチ

式典では、同社の岡田政道社長が県や市にバッテリーパーク、バッテリーロードを整備いただいた感謝を述べ、「HEV(ハイブリッド車)、PHEV(プラグインハイブリッド車)、BEV(電気自動車)、さらには燃料電池車の2次電池としてマルチパスウェイ戦略に貢献することは言うまでもなく、トヨタが情熱を傾けて開発し続ける水素エンジン車に向けても、航続距離を伸ばし、水素タンクを小型化することに、電池の力で寄与できないか全方位で支えたい」とバッテリーを通じて、トヨタグループの電動化をけん引していく決意を表明。

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岡田政道 トヨタバッテリー社長

影山市長は、「豊田佐吉翁のふるさと、ここ湖西市に新たにトヨタの名を冠する企業が誕生することは、私たち市民にとっても大きな誇りであり、この上ない喜び。(中略)湖西市は、佐吉翁の『報恩創造』という言葉を、まちづくりの基本理念に掲げさせていただいている。この教えを原点として、トヨタバッテリーが生産する電池の力とともに、地域と産業の未来を切り開いてまいりたい」と語った。

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影山剛士 湖西市長

佐吉が夢見た電池を湖西から

豊田会長

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豊田章男会長

豊田でございます。本日は新生トヨタバッテリーの出発式にお招きいただき、誠にありがとうございます。また、多大なるご尽力を賜りました地域の皆様、行政の皆様に深く感謝申し上げます。


(トヨタバッテリーの)境宿工場から1キロほど離れた場所にひっそりとたたずむ石碑がございます。豊田喜一郎が地元の皆様からご要望のあった水田開発に協力したことを示したものですが、もともと喜一郎はその場所に「発動機」の工場をつくろうとしていたようでございます。

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豊田喜一郎

「発動機を湖西で」というところに、「動力」の研究に明け暮れた父・佐吉に対する喜一郎の想いを感じずにはいられませんでした。


若き日の佐吉は、明治23年に東京・上野で開催された内国勧業博覧会で見た蒸気機関や機械設備の性能とパワーに衝撃を受け、「動力」に興味を持つようになりました。

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豊田佐吉

このときに抱いた佐吉の「無限動力」への情熱が、後の動力織機の発明につながり、蓄電池にもつながってまいります。


1925年、当時のお金で100万円、今で言うと100億円以上の懸賞金をかけ、佐吉は蓄電池の開発を推奨しました。条件は「飛行機に載せて、太平洋をひとっとび」できること。来年で100年を迎える今でも、世界にこれだけの性能を持つ電池はまだできておりません。


なぜ、佐吉は100年たっても実現できない、突拍子もない電池に懸賞金をかけたのでしょうか。そこには2つのメッセージがあると思っています。


一つは、動力源としての電池の可能性です。石油などの資源が乏しい日本ではエネルギー問題への対応が重要になると考えた佐吉は、水力で起こした電気を活用できる蓄電池に大きな将来性を見出したのだと思います。


もう一つは、人の「考える力」が持つ無限の可能性です。佐吉は「永遠にできないものなどない」「どんな困難も、知恵と工夫で、必ず乗り越えられる」という信念を持っておりました。


だから、「できるはずがない」という周囲の声を押し切り、懸賞金を立て、次世代に夢を託したのだと思います。


そんな佐吉を心から尊敬していたのが父の章一郎でした。父は1988年、豊田佐吉記念館を設立し、地域の人たちとの交流を大切にいたしました。

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豊田章一郎

湖西少年少女発明クラブの活動にも大変熱心で、子どもたちが夢に向かって挑戦する姿を、いつも温かく見守ってまいりました。たとえ、今の私たちにできないことでも、いつかきっと若い力でやり遂げてくれる。佐吉の懸賞金に通じる想いが、父の中にもあったのだと思います。


生前、父は、造成中だった湖西バッテリーパークに何度も足を運び、佐吉が後世に託した電池の工場ができあがるのを、心待ちにしておりました。


トヨタの名を冠した新会社がスタートする今日この場に父がいたら、何と言っていたでしょうか。


今ここにいる私たちは皆、佐吉の夢の継承者だと思います。皆で心を合わせて、いつの日か、この湖西の地で、佐吉が夢見た電池を実現したい。そう思われる方は私一人ではないと思います。


たとえ私たちの代でできなくても、ここには、発明やモノづくりの楽しさを知る子どもたちがたくさんおられます。


「新しいものをつくるために知恵を絞り、汗をかき、時間を忘れて熱中する。その瞬間が極めて楽しい。苦心した末にものができあがったとき、それを誰かが使って喜んだり、助かったりしたとき、この上ない喜びと感動に包まれる。だからもっと勉強し、働いて、もっといいものをつくろうと思う」。


これは父・章一郎の言葉です。私は、「誰かの役に立ちたい」「世の中をもっとよくしたい」と願い、世代から世代へ受け継がれる人の情熱こそ、「無限動力」だと信じております。


この情熱を継承していくことをお誓い申し上げまして、私のごあいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。

1996年に前身のパナソニックEVエナジーが設立され、初代プリウス(1997年発売)のころからトヨタの電動化を支え、累計で約2,500万台分の車載電池を量産してきたPEVE。


新会社となって、HEVの電池に加え、BEVの電池も新たに生産する。


日本は世界で初めてリチウムイオン電池を商用化するなど、電池技術に強みを持ってきた。


一方で、近年は市場の拡大に伴い、中国、韓国勢が事業を急拡大。品質を高め、コスト競争力に優れた電池でシェアを逆転されている。


2050年カーボンニュートラルの実現に向けた最重要技術であるバッテリーは、欧米も含め、世界的に官民で投資競争も激化している。


新生トヨタバッテリーは、トヨタの名を冠して、グループのバッテリー事業をリードするとともに、日本の電池の競争力向上も目指していく。

太平洋をひとっとび? 突拍子もない電池に懸賞金がかけられたワケ トヨタバッテリー出発式 豊田会長スピーチ

■トヨタバッテリー沿革

・1996年12月 パナソニックEVエナジー(株)設立(出資比率はトヨタ 40%、パナソニックHD * 60%)
・2005年10月 HEV市場の拡大に伴い増資(トヨタ 60%、パナソニックHD * 40%)
・2010年6月 プライムアースEVエナジー(株)へ社名変更。トヨタ単独で増資(トヨタ 80.5%、パナソニックHD 19.5%)
*当時は松下グループ(松下電器産業株式会社、および松下電池工業株式会社)

2024.10.01 トヨタイムズニュースより

このブランドについて

  • TOYOTA

    トヨタ

    常に世界の最多生産台数を争い、日本のみならず世界を代表する自動車メーカー、トヨタ。多くの日本車メーカーと深い関わりを持ち、グループ全体で超小型車からバス・トラック、産業車両まで網羅したフルラインナップ・メーカーであり、近年は実用性やコストパフォーマンスのみならず、スポーツ性など走る楽しみにも力を入れています。世界初の量販ハイブリッドカー「プリウス」から電動化技術では最高の蓄積を持ち、自動運転技術の実用化、新世代モビリティと都市生活の在り方を模索する「ウーブン・シティ」へ多大な投資を行う一方、電動化だけがエコカー唯一の選択肢ではないというスタンスも崩さず、死角のない全方位戦略が現在の特徴です。

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